薬種商の館 金岡邸

休日に、近くのホームセンターまで買物に来る用事があったので、ついでに立ち寄ってみました。
先日訪れた内山邸と同じく富山県民会館の分館として維持・管理されている、地元富山の歴史を語るには
なくてはならない貴重な国登録有形文化財。
薬種商の館 金岡邸


母方の曾祖父が、いわゆる”富山の売薬さん”で、九州で客死したという話を祖母から聞いて以来、
富山の薬売りのアイコンとして有名な、この金岡邸にいつか来てみたいと思っていました。
曾祖父もきっとここに客先へ持っていく薬を仕入れに来ていたはずだから。
さて、金岡家の歴史を調べてみると、江戸末期から富山で営んでいた薬種業で得た財力を元に、
北陸で最初の電気事業会社「富山電燈」を設立(現在の北陸電力)、
大正2年には北陸で初の電鉄工事を完成し(現在の富山地方鉄道に関連があるかは調査中です)、
砂防工事を国営事業に組み入れるよう尽力するなど、現代に至るまでの富山のインフラ整備においては
ほとんどこの金岡家からお金が出ています。

親子三代で天皇から勲章を授与されるくらい、すごい家系。

軽いフェイントですが、見学にはこの新屋からではなく、隣りの店舗からスタートになります。
ちなみにこの新屋は迎賓の場として利用され、明治天皇も休憩に利用されたという庭園もあります。
実は小学校3年生の1学期まで、この近くの学校に通ってました。
車でならそれほど離れていない場所なんですけど、この辺りに来たのは引っ越して以来かもしれません。
その引っ越しの際に、子供は邪魔だからと祖母に連れられて太閤山ランドで丸一日遊んだんだよなあ。

さて、受付のおじさんに元気よくご挨拶したあと(富山県民は基本的にシャイなので、先に心をオープンにして
おくと後の対応が900度違います)、この緑のボタンが4ヶ所あるから順番に押して行くと説明が聞けるよと
教えてもらいました。
たいていこういう音声ガイドって聞き取りにくいことが多くて避けるんですが、ここのは聞き取りやすかったので
良かったと思います。あと、室井滋や柴田理恵とかの声じゃないところも好印象でした。

靴を脱いで順路に従い館内に入ってさっそく目に入るのは、金岡家が中国や東南アジアから輸入した生薬の
様々な原料の入った瓶。スッポンだけにビンビンになるんでしょうかね。←

そして、中国科学院から寄贈された麝香鹿の剥製。これ、世界で6体くらいしかないそうです。
体高40cmの小柄な鹿で、雄の腹部にある香袋から得る麝香を乾燥、またはエタノールで溶解させ不純物を
ろ過したのち薬品として利用していました。

ああ、これ時代劇でよく見るやつや・・・w

富山の売薬と言えばこれ、”先用後利”。客先へ商品を預けておいて使った分だけ請求する商法。
たしか現代のモンゴルでも受け入れられたんだよね。 - 富山の売薬システムがモンゴルに輸出
このシステムは基本的に信用商売なわけだけど、とかく地元から出たがらないマイルド・ヤンキーの多い
今と比べたら、この献身的なフットワークの軽さには敬意を表します。
人のために役に立てるなら、どこへでも行くぜ的な。

緑のボタンに誘われながら、新屋へとやって来ました。

ここが明治天皇が休憩に訪れた庭園か・・・。不思議と心落ち着くお庭です。
休憩所とされている座敷にはポットに入ったお茶も用意されていて、観光の合間に実際に休憩できます。



この茶室は、今でもお茶・お花などの文化的行事の開催会場として利用されているようです。

復路はまた資料館を通りますが、これ懐かしいな。子供の時に必ず家にあった、売薬さんが持って来てくれる
オマケ。そうそう、入場したときに受け取るパンフレットと一緒に紙風船をもらったんですよ、
後で子供たちと一緒に遊ぼうっと。

ズバリ(頭歯利)といえば地元でも有名な解熱鎮痛薬。実は飲んだ記憶がありません(ぉ
どちらかというと正露丸にお世話になったクチです。


ふらっと思いつきで立ち寄っただけだけど、個人的にはなかなか楽しめました。
富山県民のルーツっちゃルーツだし、旧新庄交番の近くに住んでいて、この裏の小学校まで通っていた自分に
とっては懐かしさを感じる場所でした。
富山市上飯野にお住いで新潟からの単身赴任の方、散歩がてら訪れても面白いと思いますよ。
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