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鬼滅の刃 23巻(紙)/吾峠呼世晴


よもやよもやである。

吾峠呼世晴氏の 『鬼滅の刃』 の単行本最終巻がついに発売されたのだ。 単行本の発売ということは連載はすでに終わっているので、ラストがどんなだったかを知る人も多いだろう。それが不思議とネタバレに触れることはなかったのはきっと大多数の読者の人の善意だと思っている。―今や知りたくないことまでいやでも目にしてしまう世の中なのに。

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というわけで、22巻目までは電子書籍で買っていたものの、家族と泊まった無限列車SLホテルで読むにはスマートフォンの画面ではいささか読みづらかったので、最終巻だけは紙の本で読もうと決めていたのだ。どうせ、子供たちも読みたがるだろうし。それにしても、滑川市の東福寺野にあるこの公園が話題にならないのが不思議でならない。いや、せっかくだから”鬼滅”フィーバーは富山駅北に出来るという新しい公園に置かれるSLに任せて、ここはこのままであってほしいと願うのはわがままだろうか。

さておき、『鬼滅の刃』 の英語翻訳版が 『Demon Slayer』 というのは、いかにもらしいというか日本語の表現力の巧みさをかえって再認識させてくれた。意味としてはけっして間違いではないのだけれども、そんなタイトルの創作物ならいくらでもあったろうと思わざるを得ない。やっぱり、『鬼滅』 は ”きめつ” であってこそだと思う。

22巻目の発売から時間が経っているので、あえてここで触れることにするが、禰豆子がはっきりと意識を取り戻した場面を読んで、「ああ、これで炭治郎が死ぬなんてことがあったら切ないなあ」 「いや、それで物語に深みが増すならそれもありかも」 とか想像していたのだが、納得のラストで締めくくられて本当に良い意味できれいに終わってホッとした。なんなら、うっすら目から変な汁が出そうになったくらいだ。過大評価なのは認めよう、手垢のついた部分などいくらでもある。それでも人を惹き付けるにはじゅうぶんな作品だ。

今を思えば、禰豆子のコスプレをしたどこの誰だか分からない人の画像を Twitter で見かけたのが最初だった。はじめこそ 「銀魂」 や 「BLEACH」 の亜流と思い込んでいたものだ。それがよもや子供たちが学校に着けていくマスクの柄になるほどに認知されていくとは想像もつかなかったが、禰豆子の口がふさがれているのとは意味は違うが、顔の半分を覆われて生活しないといけないことへの不安を少しは緩和してくれたと信じているので、あの設定は今の世の中にあって偶然だが絶妙だと感じている。

そう、誰かの姿を自分に投影してみたり、本当の自分ではない別の人格を演じることで人は正気を保てることだってあるのだ。



表紙の写真を撮りたかったが、家族じゅうで順番を取り合って読んでいるので暇がなかった。劇場版は早ければ明後日観に行くはず。


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