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鉄と轍


生活圏での移動はおもにクルマであるのに、なぜ鉄道路線に興味を惹かれたかという話をずっとしてみたくて、自分の子供のころの記憶と地元の鉄道事業者の沿革とのすり合わせをしたのをまとめたいと思います。

小学校へ上がるかどうかの時期に、よく一緒に遊んでいた友だちを鉄道事故で亡くしています。富山地方鉄道の東新庄-越中荏原間にある住宅地の路地に突如現れるコンクリート製の大きな塀はそのとき以来のものです。当時は柵もなく、分別のつかない幼児であればふらりと線路に立ち入ってしまうのもあり得るくらいに、いろんな意味で長閑な風景でした。友だちの名前はもう思い出せませんが、あの子のお母さんと思しき女性の悲鳴が今も忘れられません。

親の転勤で引っ越しをしてからは、民営化前の日本国有鉄道が保有する富山港線の沿線の風景が少年期の記憶とセットになりました。ただし、当時は乗り物にはまったく興味がなく、どんな車両が走っていたかは1ミリも思い出せませんが、時系列を追っかけてみるとちょうど国鉄72系から457系・471系・475系に置き換わる過渡期だったことが分かりました。

自宅からかなり離れた高校へと電車通学するようになったとき、最寄り駅の駅舎はまだ木造でした。あずき色の475系を見た記憶があるため、何年か前に北陸新幹線を撮りに行ったついでに立ち寄った松任駅近くのJR西日本金沢総合車両所松任本所に留置されていた475系のA19編成を見かけたときには、ある種のノスタルジーを感じることを禁じえませんでした。

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ただ、記憶の中では水色の車体を見たことがあるような気がするので、一度くらいは国鉄の72形に乗ったことがあるのかもしれません。

高校を卒業し、職を得て自分でクルマを運転するようになるころには電車の乗り方も忘れていましたが、ときおり見かけるようになったキハ120形がいつも乗っていた路線を走る様子には違和感しか感じず、鉄道への興味も執着も盛り上がることなく時は過ぎていきます。今となってはこれもまた富山港線がLRT化する過渡期の風景であり、最近になって高山本線の路線そばの公園からキハ120形の写真を撮るようになったのはこのときの記憶からです。

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JR西日本が完全民営化を迎える前の2001年より、閑散時間帯の合理化のために高山本線との共通運用となることで、突如目の前に出現したベネトンカラー(違)の不格好な気動車は今でも好きにはなれませんが、あの車両が富山港線が走るようになったころには路線としてはもう末期だったからということもあり、嫌いになることができません。

そんな富山港線が2006年に日本初の本格的なLRTとして生まれ変わると知ったとき、思わず 「やるなあ」 とひとりごとを言ったのは本当です。第三セクター化したところで運用するのはこれまでどおりの車両だと、街の風景や人々の生活を変えることはできないし、LRT化することで将来的に富山地方鉄道の富山軌道線への乗り入れを可能にしたことを思えば、これは素晴らしいことだと思いました。

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最近になって知ったのですが、富山港線とは富岩(ふがん)鉄道株式会社が開業した路線を、1941年に富山地方鉄道に譲渡したという歴史があったそうです。1943年に国有化されたものの、2020年2月22日に富山ライトレールが富山地方鉄道に吸収合併されたことで、なんと77年ぶりにこの路線が富山地方鉄道のものとなりました。

ただ、これまでずっと国鉄やJRと富山地鉄はまったくの別物と認識していたのに、急にそんなこと言われても・・・と戸惑っているので、今はまだ富山市街地に乗り入れているTLR0600形を正視することができません(苦笑)。だって、ライトレールが地鉄の線路を走って富山大学の前に留まってるんだぜ?一瞬自分が今どこにいるのか分からなくなるこの気持ち、誰かに伝われ・・・!

そしてその富山地鉄の軌道線ですら、過去には旧:新湊市(現:射水市)まで鉄路を伸ばし、高岡駅までつながっていた時代があったとなると、富山県そのものがコンパクトシティだったのだなあと思いました。

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今でも生活圏での移動はクルマ中心ですが、職場近くで見かける万葉線の車両とそれらが溶け込む街の風景を眺めていると、自分が子供のときに気づくことのなかったものが見つかるのではないかと思って、今は万葉線を足掛かりに地元の鉄道史を少しずつ掘っていると今日この頃です。

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