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Handheld Memory


いつだったか誰かの言葉を聞いてハッとさせられたことがあって、細かな内容は忘れてしまったが大まかには”過去遊んだゲームの思い出は残っても、それらが現実に稼働するハードウェアやソフトウェアそのものは日々失われていっている”というようなことだったと思う。それはどの分野でも言えることでもあって、映画や音楽でもそうだ。自分たちがふだん触れているのはオリジナル・ネガやマスター・テープではなく、オルジナルから量産されたもの。何年かに一度は”マスター・テープ音源から復刻” なんて謳い文句のアルバムが発売されたりもするでしょう。じゃあ、今まで聴いてたものや観てたものは何だったんだろうって話。

それを家庭用ゲーム機に置き換えると、今では据え置きのハードとそのエコシステムの中に組み込まれ、全てではないが”過去の名作タイトル”がネットを通じてハードウェアにインストールでき、遊ぶことができる。

―全てではないが。

中にはプレイしてもそんなに面白くもないタイトルもあるだろう、でも貝塚から発見される縄文土器がいくら下手くそな出来栄えだったとしても歴史的な価値を持つように、文化として存在したものの一部としてどんなクソゲーでもすべからく同等に扱われるべきだと思う。(すべからくって一度は言ってみたかった)

残念ながら、おれはそのクソゲーに金を払うほどの経済力はないので、そこそこ無難なゲームタイトルしか所有できていないけれど、この20年の間に本体が壊れたり本体そのものを紛失してしまって肝心のソフトが遊べないなんてものが増えていたことに気づく。どんなに懐かしがっても、ソフトウェアはハードウェアがなければダメなのだ。それも、エミュレートしたものなんかではなく、当時の匂いや手触りまで内包する”オリジナル”が手元になければ。

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というわけで、1989年にコトブキシシテムから発売されたゲームボーイソフトの 『ミッキーマウス』 をいつでも遊べるようにと、ゲームボーイカラーを入手。もともとは初代ゲームボーイが家にあったとき(ふだんゲームなんてしない実父が珍しくテトリスにハマってた)に買ったソフトだったのを結婚して家を出たあともずっと持っていた。初代が壊れたあとには自分でゲームボーイポケットを買ったっけ。この 『ミッキーマウス』 のBGMが好きだったなあ。久しぶりに遊んでみると、まあよくあるふつうのアクションゲームなんだけれど、BGMには子供のころの記憶を呼び覚ますバイアスがかかっているせいか、動作確認のつもりがずいぶん時間を奪われた。

『ポケモン』 のカートリッジも当時もの。今ではスマホゲームにもなってしまってずいぶんと時代を感じさせるけれど、ときどきは思い出してほしい、”すべてはここから始まった”ことを。

長男がまだ保育園に通っていたころによく遊んだ 『ムシキング』 。カードゲームも集めていたはずなのに、すっかり散逸してしまって手元にはほとんど残っていないし、実機がないので遊びようがない。そういうことになるのが怖くて、せめて家庭用ゲームだけでもと思っている。ムシキングといえば、右下奥に生えた親知らずを抜くときに一人では不安だからと長男を立ち会わせて、施術後には立ち会ってくれたことへの報酬としてゲーセンに行ったんだよなあ。最初は何ともなかったのに麻酔が切れはじめるとだんだん痛くなってきて・・・。たしか長男が小学校に初登校する日も、おれはほっぺたを腫らしていた。

そんな 『ムシキング』 を遊ぶために近所のハードオフで間違ってニンテンドー DSi を買ってしまい、その後あわてて DS Lite を追加で買ってしまったのは内緒。あらためて任天堂の携帯型ゲーム機の沿革を見てみると、あきれるほど種類が多くて震えた。以前はこんなの平気で記憶できていたのにこのザマである。

PSPgo は電源ケーブルを失くした。PSPはまだまだ稼働するけれど、予備で持っていたバッテリーが劣化で膨張していて、現在本体に装着してあるバッテリーも時間の問題かもと思っている。なんとなく買った 『100万トンのバラバラ』 を長男が器用に遊ぶようになって、次に買った 『勇者のくせになまいきだ』 もほとんど長男がプレイしていたっけ。

それから何年もの間、おれがゲーム機に触れることはなかったのだけれど、今はなぜか死期でも近いのかやたらと古いゲーム機を手にしては、過去を思い出そうとしている。



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