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キロクとキオク


写真を撮ることが日常の一部となって6年近く経ち、そのことにどんな意味があるのかふと考えてみると、さほど意識せずに撮り散らかした写真の中に記録としての意味を持つものと、同時に附随する記憶を呼び起こすものが綯い交ぜとなっていることに気づく。レプリカントが自分の生きた時間の証として写真を残したように、記憶と記録というのは表裏一体なのだとあらためて認識した。

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2014年の初夏、2歳になったばかりの次男に玩具のカメラを持たせて散歩に行った。それが何であるかの説明をするより先に、その道具の正しい使いかたの仕草を真似たのは、彼が生まれたときからすでに日常にカメラがあったからだろう。


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同じ日の夕暮れよりも遅い時間、陽の長いことを理由に当時環水公園の向かいにあった見晴らしの丘に娘と次男を連れて行った。今でこそ富山県内にふわふわドームが設置されている公園はあちこちにあるが、当時はまだここにしかなかったので、娘もここで遊ぶのが大好きだったのを覚えている。


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ただ、夕方6時になると空気を送るポンプが止められてしまうため、公文教室に迎えに行った帰りに遊ぼうと思ってももう遅かった。この場所には富山県美術館が建ち、ふわふわドームとアスレチックは岩瀬スポーツ公園に移設されている。


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娘にも使えるカメラをなぜ持たせなかったのか、この写真を見るたびに考える。もし娘にも扱えるカメラがあったなら、中学生になった今もこのときと同じように公園に来てくれていただろうか。


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一年後、見晴らしの丘はなくなった。


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環水公園には何かしらの機材を更新するたびに写真を撮りに来ていたけれど、このときは EOS 6D を借りて次男と遊びに来ていた。おれが少しの間カメラに気を取られていたばかりに一瞬だけ姿を見失って焦った記憶がある。


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どうでもいいが、実は今でも”世界で一番美しい”と言われたことがあるこのスターバックスの写真を納得のいくように撮ったことがない。ただ、キャッチ―な素材なのでとりあえず来たら撮ってるくらいの意味しかないのだ。少しだけの皮肉を込めて。


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富山駅の北口から環水公園に向かうと、この場所にたどり着く。2016年の5月にはまだ美術館は建設中だったんだ。このときの次男は4歳になる直前で、幼児の顔つきから少年のそれへと変わっていくときだった。


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9月には建物の輪郭ができていて、現在の姿と見比べると感慨深いものがある。そういう意味では撮っておいてよかったと思っている。


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翌年の5月にはもうこうしてふわふわドームで遊んでいる写真が出てきた。でもたしか美術館部分はまだ未完成だったと思う。この日からこの年は休みのたびに次男と遊びに来ていたのではないだろうか。


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で、さすがに毎回毎回ふわふわドームばかりだと俺が飽きてきたので、意地悪をして車を遠くに停めて公園を縦断しながら歩いたこともあった。それもつい一年と数か月前のことだったのか。


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2017年の夏の終わりには初めて屋上の公園以外の場所に行くことができた。撮った日付は8月30日。そりゃ蝉も死ぬわな。


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ちなみにこれは2014年の4月、小松に行ったときのもの。三つ子の魂~とはよく言うが、この子は昔からグレーチングが好きだった。


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桜の写真を撮るのは案外難しいものなのだが、今年はなぜか自然と肩肘張らなくても撮れたような気がする。不思議だったのは、この桜はずいぶん前に撮ったものだと思っていたのに、実はつい半年くらい前のものだった。記憶がだんだんあいまいになっていく。


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次男の顔も見るたびに変わっていって、上の子たちの同じ時期よりも多くの時間を一緒に過ごそうと努めているのに、ふと目を離した一瞬の間に戸惑うほどに違う印象を持つようになった。おどけた写真のことを言っているのではなく、日常の一瞬というものを永遠につなぎ留めておくにはこうしてずっと撮っていくしかないのだと思った。

誰かに見せるためでもない、コンテストや写真展にも出さない、自分の記憶のために。



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