米騒動発祥の地に行ってきた


いつも、『海の駅蜃気楼』 に行った帰りには海沿いの道を走るんですが、その途中にある史跡がとても気になったので、近くを通ったついでに寄り道することにしました。

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中学校の歴史の授業で習う、”米騒動”―の発祥の地が魚津にあっただなんて胸熱すぎるじゃないか。
しかも、英語訳が ”Rice Riots” ってあんた、まるで古タイヤに火をつけて街道を塞いだりとか、警備隊に火炎瓶投げつけるみたいな勢いのある語感なんですけど(苦笑


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さて、学校で習ってから30年近く経っているため、この事件の詳細のほとんどを覚えていないので、あらためておさらいしてみますか―。ていうか、この看板に超親切に書いてあるから助かるー!(ぉ

文字通りの主食であったコメを商人らが投機目的に利用し、第一次世界大戦中に一旦は暴落した価格が戦後になって上がるところまで売るのを惜しんだ(戦前の4倍にまで価格が跳ね上がって庶民にはとても買えたもんじゃなかった)ことに反発した地元の主婦らが、十二銀行(北陸銀行の前身)の米倉前に殺到したのが発端。

その後、この騒動が各地に広まって当時の内閣が総辞職にまで追い込まれたそうな。1918年、寺内正毅のころである。


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んで、これが大切なお米が保管されていた倉庫。なにがすごいって、80年以上経った今でも現存しているんすよ、マジで。ちなみにこの右隣はふつうの民家でございまして、中学生のお子さんがいるかどうかは知らないけれど、ここに住んでて自分ちの隣りの敷地で米騒動が起きてたなんて思ってもみないだろうなあ、なんて。


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この倉庫の内部を見学するには許可がいるそうですが、案内看板に写真があるのでそれでじゅうぶんかと(ぉ


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正面にまわるとこんな感じの趣のある土蔵風の建物だと分かります。


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ところで、この十二銀行というのは当時の国立銀行条例(伊東博文が策定)に基づいて設立された12番目の銀行のことですね。長野市にある八十二銀行なんかは第十九銀行と六十三銀行がくっついたものだったりします。19+63=83って(ォィ


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その十二銀行の建物、現在は定置網漁業を主とする魚津水産株式会社の事務所になっています。魚津漁港の目の前です。


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職場が近いこともあって、休日出勤や趣味の写真撮影の帰りに通りがかることの多い道沿いにこんな史跡があっただなんて、ほんと灯台もと暗しだなあと思いました。




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