FC2ブログ

Nintendo Switch


Nintendo Switch を買いました(長男が)。

IMG_0707

なんでも、スプラトゥーンをやりたくてずっと欲しかったそうで、今年社会人になって一人前におちんぎんをいただけるような身分になったということで、自分のお金で買うそうな。先月は先月でダイソンのコードレスクリーナー買ってたよな。独り身ってうらやましい。

さて、購入店舗はおれの職場だと決まっているので、帰りはもちろん助手席に乗せて帰ったさ。ちなみに代金は長男から預かってきました。パシリかよ。同時購入ソフトは念願の 『スプラトゥーン2』 のダウンロード版。任天堂といえばネット会員制度がコロコロ変わった印象があって、以来めんどくさくて近寄らないことにしていましたが、長男の頼みなら仕方あるめえ、ちゃんとしてやらねえとな。


IMG_0708


家に着くなりさっそく開梱。次男が嫁と出かけていたので、誰にも邪魔されずに初期設定を始めることができました。「ニンテンドーアカウント」 の作成はパソコンで行いましたが、ふつうに長男の携帯メールアドレスとパスワード(今回は自動生成されたやつを使用)を設定するだけでOKでした。もちろん、登録したあとには携帯メールに認証コードが送られて、それを入力すれば完了といういわゆる2段階認証でセキュリティもバッチリ。

あとは、設定したアカウント情報(メール/ID)をSwitchに登録するだけでよかったので、思ってたよりスムーズに終わって安心しました。また、今回購入した本体には3,000円分のプリペイド番号が添付されていて、それの紐づけもこれまであった似たようなサービスと同じ感覚で設定が終わるので、ことゲーム機のアカウント設定といえばPSNの七面倒くささが頭にあったせいもあって拍子抜けでしたね。その3,000円分のプリペイドは 『Nintendo Switch Online』 1年分に全部つっこみました。


IMG_0712

ダウンロードカードの番号を登録したのち、我が家の回線スピードで小一時間待ってようやく 『スプラトゥーン2』 のプレイを開始。

こっちはこっちで 『マイニンテンドーストア』 がいわゆるクラブニンテンドーみたいなものと理解を深めることができ、永年の苛立ちから解放された気持ちになりました。そもそも、クラブニンテンドーだって12年間続いたサービスなんだもんな。決して短期間で終わったというものではないけれど、これだけバタバタしてたら悩んじゃうんだよなあ。ゲームばっかりしてるわけじゃないし。

2003年10月1日 クラブニンテンドー開始
2004年11月21日 米 DS発売 カートリッジ供給のみ DLCはカートリッジ単位
2005年11月14日 ニンテンドーWi-Fiコネクション開始
2006年12月2日 Wii発売 据え置き機DL販売開始 本体アカウント制
2008年11月1日 DSi発売 携帯機でDL販売開始 本体アカウント制
2011年2月26日 3DS発売 本体アカウント制 同Nintendo Network開始
2012年11月18日 米 WiiU発売 Nintendo Network ID導入 一部個人アカウント制
2013年12月10日 3DS Update ニンテンドーネットワークID利用可能に

こうしていろんなネットワークサービスの名称が飛び交うのがいちばんニガテ。

スマホ決済だって、当然ながらそのサービスごとにアカウントが必要なわけで、とても管理しきれる気がしない。なのでナントカペイには乗っからないことにしている。よく利用する近所のコンビニでさえ、違うポイントカード出しちゃうくらいなんだから。



スポンサーサイト



The Talos Principle(Steam版)


リリースが2014年12月ということで今さらジローなわけですが、PC版 『The Talos Principle』 を購入してみました。ジャンル的にはパズルゲームだと思います。

Talos_Wallpaper08

”Principle” は 『原理』 と訳されるので、タイトルを直訳すれば 『タロスの原理』 となり、なんだか哲学っぽい香りがしますねえ・・・。ちなみにトップバレエダンサーの称号である 『プリンシパル』 の綴りは ”Principal” なのでまったく関係がありませんでした。またひとつ賢くなっちゃった。


Nexus_0000

さて、このゲームはいわゆる”ゼルダ”や”ICO”といったタイトルの謎解き部分に特化した感じの内容で、プレイヤーは何の説明もなく広大なマップに放り出され、(数も用途も)限られた道具を駆使して”印章”というアイテムを回収し、次のステージへのドアを開いていきます。序盤ではジャマーという測量器にも似た道具でゲートのバリアを解除したりとか、浮遊するセキュリティ・ロボット(しかも自爆する)やマシンガンを一時的に無効化しながら進んでいくわけですが、これがまあ気持ち良いくらいに頭の体操になりますね。しかもそのジャマーの数はマップごとに数が決まっているし、本来ならセキュリティ・ロボットたちと同数のジャマーがあれば何の問題もないのですが、そこはさすがパズルゲームならではの数の制限でグイグイと右脳を揉んできますねー。

たとえば、ゲートを間に挟んでセキュリティ・ロボット1台、マシンガンが1台という条件の中でジャマーひとつで挑む場合、一度に無効化できるのはこのうちのひとつしかありません。ロボットを止めてもゲートのバリアはくぐれない上にマシンガンに狙撃されてしまいます。でも、ゲートのバリアを解除してロボットを動かすと、マシンガンと相撃ちを始めて両方とも壊れてしまいます。こうなればもうプレイヤーの移動を妨げるものは何もありません。この仕組みが分かったときには思わずガッツポーズしちゃいましたね。

オートセーブ対応なので、時間を見つけては謎解きを進めているのですが、そもそもこのゲームとの出会いは 『風の旅ビト』 (これも名作)がPC版でまさかのリリースと聞いて早とちりしてその場の勢いでSteamのウォレットにチャージしたら、なんとまさかのEpic Games版だったというオチで、いまさらEpic Gamesのアカウント作るのも面倒くさいし、早期ダウンロード割引はもったいないけれどいつかまた気が向いたらと思ってあきらめ、浮いたチャージ分の1,000円で買えるSteam版のゲームが何かないか探したときにこの 『The Talos Principle』 を見つけたわけです。

子供のころに、プレイヤーキャラクターのようなロボットの造形を夢想したことがあったし、レビューでも似たもの同士と取り上げられる”ポータル”というゲームは個人的に不完全燃焼のままだったので、これは良縁と思って購入を決めました。そんなきっかけでプレイしはじめたゲームですが、天気が悪くて写真を撮りに行きたくないようなときの暇つぶしに持ってこいだと思いました。



僕と彼女とシーマンのこと


僕たちは1996年の秋に結婚をした。中学校の同級生同士(当時付き合っていたわけではないのだが)だったことと、まだ21歳という若さだったこともあって周囲からは珍しがられたと同時に ”デキ婚じゃね?” なんて勘繰られたりもした。そんな僕たちだったけれど、周囲が期待するようなタイミングで子供が生まれることもなく、数年の間は二人きりで暮らしていた。

今を思えばもしもその時に戻れるなら、もっと二人で出かけたりしていれば良かったと思う。

僕たちはそろいもそろってテレビゲームが好きだったのと、僕の当時の仕事がまさにその分野に関わっていたので、ドリームキャスト(知らない人のために説明すると、セガのゲーム機本体のこと)を買うのもごく自然なことだった。保証書の日付を確認したら1999年の7月28日となっていた。そのころの彼女はたしかプレイステーションのポケットステーション(1999年1月発売)にご執心で、何のゲームソフトと連携させてたかは忘れたけれど、発売後かなり品薄になっていたのを二人で探しまわったことだけは覚えている。

DSC04431

『シーマン』 の初回版は僕がドリームキャスト本体を買った翌日が発売だったようだ。写真は中古で買い直したもので ”2001年対応版” となっている。初回版との違いは難易度が多少下がっているらしいが、そもそもこのゲームに難易度なんて・・・。全然会話が成立しないのを笑い合っていたっけ。そろそろ”不妊治療”という言葉が頭をよぎるようになっていたころのことだ。

その年の終わりごろ、仕事が忙しくて家に帰るのも遅くなりがちだった僕を、嫁がなにか覚悟を決めたような表情で待っていた。ケンカをしていたわけじゃない、一緒にいる時間はたしかに以前より短くはなっていたけれど、それは彼女のことをきらいになったからではなく、仕事が書き入れ時で忙しいだけだということを彼女はじゅうぶんに理解しているはずだった。だから僕は言った。


どうした?子供でもできた?


少しの間をおいて、彼女は言った。


・・・えっ、なんで分かったん?


きれいに質問を質問で返された瞬間だった。


2000年の9月に長男が生まれるまで、どのように過ごしたかはあまりよく覚えていないが、6月だったか8月だったかに大阪と奈良で3ヶ月ほど働くことになったっけ。その間にいちどだけ彼女が大阪の社員寮まで来てくれたことがある。当然ながら泊めることはできなかったので、外泊許可をもらって海遊館近くに宿をとって観光をした。妊婦を連れているのに散々道に迷って―(人に道を尋ねるのがきらいだった)。

そうして、当たり前だがとてもテレビゲームの前で数時間も過ごすような生活スタイルを維持できるわけもなく、これも当たり前だがテレビ画面上に浮かぶ得体の知れない生き物のCGに話しかけてる場合ではなくなったので、初回版のシーマンは何年かして中古ソフト屋に売った。まだじゅうぶんに遊んだとは言えないことに後ろ髪を引かれながら。

あのとき近眼で地下鉄の駅の看板も読めなかった僕は老眼になった。


DSC04429

20年の月日が経ち、いい歳をした大人が古いゲーム機を引っ張り出して遊ぶのにちょっとした優越感を抱けるようになった今、いつの間にか壊れていたコントローラーを買いなおして、ついでに 『シーマン』 の中古ソフトを見つけることができた。

今なら、次男もいっしょになって遊べるだろう、きっとくだらない言葉を投げかけて笑うんだろうな。そんなことを期待して、レジまで持って行ったのだ。


DSC04428

しかし、この数年の間、部屋で見かけるたびに何度となくSNSにアップしてきていたビジュアルメモリが、いざというときになって行方不明だなんて、万事休すじゃないか―。



SCPH-90000CB


おやおや・・・。

DSC04317

どうにも止まらなくなった部屋の片付けの際に押し入れから発見された PlayStation 2(SCPH-50000)、とっくに捨ててしまったと思い込んでいたので嬉々として電源を投入してみるも、フロントローディング式ドライブの宿命であるディスクトレイの開閉不良が起きていて、いちおうプレイはできるものの先が見えているため、ジャンク品でもいいからパーツ取りして修理しようかと思って買ったものが文字通りのジャンク品だったため、観念してトップローディング式の本体を探してきて購入。

だってさ、PlayStation 2 の姿を久しぶりに見た長男が、幼いころに嫁がプレイしていたドラクエ8をやってみたいとか言うし。


DSC04318

PlayStation 2 の最終形態、SCPH-90000CB(チャコール・ブラック)でございます。通称”薄型”と呼ばれるその本体形状は、”厚型”と比較して実に4分の1という体積比にまで小型化され、特に最終型番であるこの SCPH-90000 は70000系で採用された ACアダプターによる給電方法からふたたびACケーブルへと変更され、そのコンパクトさには驚かされるばかりなのだ。


DSC04319

背面端子はこんな感じ。今までのは何だったんだろってくらいにスッキリしている。


DSC04321

”薄型”モデルのデザインとしては、70000系が好きだったりもしたのだが、ディスク部のフタのツメのクリアランスが甘いとか聞いたので、実用性を重視して 90000系を選択。それにしても、おれは一体どこへ向かおうとしているのだろうか。ああそうだ、ダウンロードや復刻版なんかじゃなく稼働する当時モノのコンソールで実物のソフトをできるだけ長い期間現状保存したい、ただそれだけが願いなのよ。


DSC04320

ところで、この”薄型”モデルの致命的な欠陥が、ピックアップのそばに見えるフレキシブルケーブルとゲームディスクが接触してしまうことらしいので、内心ビクビクしている。とりあえずエースコンバットのソフトを入れてみたけど大丈夫そうだったけど。あと、PlayStation 2 も末期には 初代PlayStationソフトとの互換性が完全ではなくなっているようで、つい弾みで”厚型”の SCPH-39000 も確保してしまったのだった。(ディスクトレイの開閉動作確認済み)


さてさて・・・。


Handheld Memory


いつだったか誰かの言葉を聞いてハッとさせられたことがあって、細かな内容は忘れてしまったが大まかには”過去遊んだゲームの思い出は残っても、それらが現実に稼働するハードウェアやソフトウェアそのものは日々失われていっている”というようなことだったと思う。それはどの分野でも言えることでもあって、映画や音楽でもそうだ。自分たちがふだん触れているのはオリジナル・ネガやマスター・テープではなく、オルジナルから量産されたもの。何年かに一度は”マスター・テープ音源から復刻” なんて謳い文句のアルバムが発売されたりもするでしょう。じゃあ、今まで聴いてたものや観てたものは何だったんだろうって話。

それを家庭用ゲーム機に置き換えると、今では据え置きのハードとそのエコシステムの中に組み込まれ、全てではないが”過去の名作タイトル”がネットを通じてハードウェアにインストールでき、遊ぶことができる。

―全てではないが。

中にはプレイしてもそんなに面白くもないタイトルもあるだろう、でも貝塚から発見される縄文土器がいくら下手くそな出来栄えだったとしても歴史的な価値を持つように、文化として存在したものの一部としてどんなクソゲーでもすべからく同等に扱われるべきだと思う。(すべからくって一度は言ってみたかった)

残念ながら、おれはそのクソゲーに金を払うほどの経済力はないので、そこそこ無難なゲームタイトルしか所有できていないけれど、この20年の間に本体が壊れたり本体そのものを紛失してしまって肝心のソフトが遊べないなんてものが増えていたことに気づく。どんなに懐かしがっても、ソフトウェアはハードウェアがなければダメなのだ。それも、エミュレートしたものなんかではなく、当時の匂いや手触りまで内包する”オリジナル”が手元になければ。

DSC04309

というわけで、1989年にコトブキシシテムから発売されたゲームボーイソフトの 『ミッキーマウス』 をいつでも遊べるようにと、ゲームボーイカラーを入手。もともとは初代ゲームボーイが家にあったとき(ふだんゲームなんてしない実父が珍しくテトリスにハマってた)に買ったソフトだったのを結婚して家を出たあともずっと持っていた。初代が壊れたあとには自分でゲームボーイポケットを買ったっけ。この 『ミッキーマウス』 のBGMが好きだったなあ。久しぶりに遊んでみると、まあよくあるふつうのアクションゲームなんだけれど、BGMには子供のころの記憶を呼び覚ますバイアスがかかっているせいか、動作確認のつもりがずいぶん時間を奪われた。

『ポケモン』 のカートリッジも当時もの。今ではスマホゲームにもなってしまってずいぶんと時代を感じさせるけれど、ときどきは思い出してほしい、”すべてはここから始まった”ことを。

長男がまだ保育園に通っていたころによく遊んだ 『ムシキング』 。カードゲームも集めていたはずなのに、すっかり散逸してしまって手元にはほとんど残っていないし、実機がないので遊びようがない。そういうことになるのが怖くて、せめて家庭用ゲームだけでもと思っている。ムシキングといえば、右下奥に生えた親知らずを抜くときに一人では不安だからと長男を立ち会わせて、施術後には立ち会ってくれたことへの報酬としてゲーセンに行ったんだよなあ。最初は何ともなかったのに麻酔が切れはじめるとだんだん痛くなってきて・・・。たしか長男が小学校に初登校する日も、おれはほっぺたを腫らしていた。

そんな 『ムシキング』 を遊ぶために近所のハードオフで間違ってニンテンドー DSi を買ってしまい、その後あわてて DS Lite を追加で買ってしまったのは内緒。あらためて任天堂の携帯型ゲーム機の沿革を見てみると、あきれるほど種類が多くて震えた。以前はこんなの平気で記憶できていたのにこのザマである。

PSPgo は電源ケーブルを失くした。PSPはまだまだ稼働するけれど、予備で持っていたバッテリーが劣化で膨張していて、現在本体に装着してあるバッテリーも時間の問題かもと思っている。なんとなく買った 『100万トンのバラバラ』 を長男が器用に遊ぶようになって、次に買った 『勇者のくせになまいきだ』 もほとんど長男がプレイしていたっけ。

それから何年もの間、おれがゲーム機に触れることはなかったのだけれど、今はなぜか死期でも近いのかやたらと古いゲーム機を手にしては、過去を思い出そうとしている。



アクセス
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
サイト内検索
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード
QR